「生きるための希望をください」

今日を生きるための希望をください

 

「食べられないのなら何の楽しみもない、死んじゃいたい」

入院5ヶ月ほどを経たある日父が吐露した言葉です。

毎日ずっと父の精一杯でリハビリに励み、懸命に生きていた父。

「食べたい、飲みたい」と言っても一口のお水さえ飲めなくてどれほど辛かったことかと思います。

リハビリすれば…そう信じて頑張ってきたのに…どれだけ頑張ればいいのだろう…出口の見えないトンネルを歩いているような、終わりの見えない日々の繰り返しに疲れて、こころが折れてしまっても無理のないことだと思いました。

掛ける言葉も見つからずに、ほんの少しでも父のこころが安らぎますようにと、父の言葉を受け止め、身体をさすることしかできませんでした。

 

多くの患者さまも父と同じような想いを持っていらっしゃるのではないでしょうか…そう想うと胸が痛みます。

 

☆食べることは生きる喜びです☆

 

一口のお水さえあげられない…ずっとこころを痛めてきました。

必ずお父さんが食べられる道を探すからね…

「どうか父に今日を生きるための希望をください☆

どうか生きる喜びを奪わないでください☆」と毎日祈っていました。

父の望みを叶えてあげたい

父にとってその一口のお水がどれだけ心身の渇きを癒し全身に染み渡ることだろう…

その想いが、一歩一歩今できることをと、私を動かしてくれました。

 

病院は父の声を聴いたり意欲を見ることなく、父の可能性を引き出すのではなく、リスクを探して食べられない道に導きました。

福村先生は完全側臥位法を用いて、父の可能性を引き出し、どうしたら食べられるのかを教えてくださり、父を食べられる道へ導いてくださいました。

福村先生に正確な診断をしていただいたおかげで父の状態を知ることができ、安心してお口から食べさせてあげられています。

丁寧にご指導していただいたので。私でも安全に食べさせてあげることができています。

 

愛ある医療が父を救ってくれました。

父が救っていただいたのは肉体だけではありません。こころや魂まで救っていただきました。

そして私たち家族も救っていただきました。

 

誰にもいつか必ず死は訪れるものですが、人生の終わり近くなって食べたいのに食べられないという拷問のように思える状態に父をさせてしまったことをずっと申し訳ないと思っていました。

安らかに死を迎えるためには、そこに至るまでの経緯が温かく幸せなものでなければなりません。

ひもじい思いをさせたまま人生を終わらせることは絶対にさせない☆とこころに決めました。

喜びのない日々にじっと耐え、ただ命を長らえさせても幸せではありません。

それは父の望みではありませんでした。

私も父の命をどれほど長くということよりもどれだけ父が幸せであるかを大切にしたいと思ってきました。

肉体ばかりに目がいくと大切なものが見えなくなってしまうことがあります。

病院は「リスクがあるから」という言葉で患者から食べる喜びを、生きる希望を奪います。

本当に患者のためなのだろうか

そう疑問に思う場面に遭遇したり、こころない言葉をかけられたこともあります。

 

想いを伝えられない患者さまにもこころがあります。

患者家族はただ大切な人の望みを叶えたいと願っています。

医療従事者の方々に手を差し伸べていただきたいのです。

できる限りのことを試みていただきたいのです。

結果も大切だけれど、そうした姿勢や過程に救われることもあります。

 

 

どうかお口から食べたいと望まれているすべての方々に生きるための希望をください☆